marie claire Special Edition 25年6月号 パク・ヒョシン
東京から帰ってきて1ヶ月が経ちましたが、短い滞在でしたが、どのような時間として覚えていますか?
僕の記憶では、こんなに仕事で東京に滞在したのは久しぶりでした。近いけど違う雰囲気があって、良かったですよ。短かったけど。(笑)
私の感想は、(笑) あの日の東京は寒かったじゃないですか。移動も多かったし、大変な状況にもかかわらず、無邪気に淡々とそばにいるスタッフの心を和ませてくれたんです。撮影が終わった後は、いつも好きなレストランを予約してみんなに夕食をご馳走しました。一日の間、私はパク・ヒョシンというアーティストがどのような態度で同僚に接しているのか、少し見た気がします。
実は僕も若い頃は今ほど感じなかった感情ですが、長くこの仕事をして、時間を重ねていくうちに、ますます大きく感じるものがあります。僕がアーティストとして完璧に準備された姿で人前に立つのは当然ですが、100%整っていないことも多くて、その不足をスタッフさんたちが補ってくれるんですよね。感謝するしかないですし、僕のせいでみんなが苦労してるのに、光は僕が全部もらうわけですからね。何よりも、今僕たちがやってることは愛情がなければできないことなので、その愛情のこもった労力に少しでも恩返ししたいと思ってます。
東京で見たさわやかで広い姿とは違って、音楽に向き合うことに関しては、執念と鋭敏さ、厳格な責任感を持ったアーティストとして知られています。公演の準備やレコーディングの過程で自分を過酷に使うんです。一曲のレコーディングにどれだけの時間と労力を費やすかについての証言がかなり多いですね。
自分をさらけ出し、こういう話をする場があまりないので、いくつかの逸話から何かが生まれてるような気がします。(笑) 負担になりますが、僕の立場としては当然の話です。僕は自分のことを誰よりもよく知ってますから、自分の長所と短所を言葉で説明することはできません。だから、自分の長所と短所を言葉で説明するよりも、もう一回歌って録ってみて、長所は強調して、短所はカバーしようとするんです。その割合でいうと、短所をカバーすることの方が圧倒的に多いですね。誰かにとっては余計なプロセスかもしれないけど、同時に誰かにとっては、「あいつはこんなに頑張ってるんだ」となるわけです。でも、僕自身、ここまでやりたくないという気持ちもあります。一曲終わったら死にそうだし、自分の人生で最後の曲というような気分になりたくないのですが、やってるうちに、自分が表現できる限りのことは全部やらないといけないと思うようになります。今、僕がここでこの程度に満足したら、果たして人々が語るパク・ヒョシンなのか?という考えがまた出てくるんです。ある意味、そのラインに合わせようと努力するようになるんです。以前はそれが辛かったこともありましたが、今はとても良いモチベーションになってます。大きなエネルギーを使うようになる、でもありがたいのは、僕が難しく表現し尽くしていないことを、スタッフの皆さんがわかってくれて、その気持ちを知っていて、お互いに与え合うものがあるから頑張れるんです。他意はなく、それだけのことです。
毎瞬間、自分が自分を超えるということですよね?
そうなってしまうんです。僕の方から「僕はこの程度だ」と自分という人間を捉えても、人々が僕を別の線上に作ってしまうと、「僕はそこには行けないのに、いざ作業するときはその考えが定着してしまうんです。でも、人々が僕をこうして見てくれて、待ってくれて、応援してくれるんだから、このくらいの努力はもっとできるんじゃないか」と。
「完璧」という言葉の意味は主観的で恣意的なものですよね。その言葉の意味合いが昔と変わってきたと感じることはありますか?
音楽への向き合い方とは違う答えになりますね。考えてみると、以前は今よりもずっと欲が多い人でした。僕は欲という言葉を肯定的に捉えてます。若い頃はそれが過剰だった時期もあったのですが、今はある程度はうまく抑えられてると思います。今は鏡を見るときや自分自身について考えるときに、「自分が今自分らしくあるのか」と確認します。それだけでうまくいってると思うんです。以前は、自分が今ここに来たら次はここにたどり着かないといけない、計画通りにどこへ向かわなければいけないと、チャレンジするように生きてました。でも今は、自分が諦めずに音楽を続けてることだけでも、背中を叩いてあげたいです。迷うことなく、自分の居場所がここにあることを知ってることで、十分で完璧だと感じてます。
これまでの時間を振り返って、特にどんな自分に感謝することもありますか?
他の仕事をしたことがないので、僕の経験からしか話せないのですが、この仕事はいろいろな面でバランスを取るのが難しいと思います。適度というものがなくて、ちょっとでも怠けたり、他のことを考えたりすると、それがそのまま結果に表れてしまうので、やめられないし、公演でもミュージカルでもアルバムでも、発表のスケジュールが決まると、それからはどうにかしてこれをうまく作り上げなければならないという思いにとらわれます。他のことは見ないで、自分の人生の多くを見失い、目の前の成果物を完成させるためだけに、ひたすら没頭してしまうんです。だから、成果物を出した後は、空虚で虚しくなることが多いです。何かを大きく失ったような気がします。どんなに好きなことでも、その過程でストレスやプレッシャーを受けることは避けられないし、すべての結果には悔しさがつきものですからね。さらに、この成果物によって世間が僕をどう見るか、僕が以前より良くなったのか、悪くなったのかなど、僕にとってはとてもつらい話です。精神的に揺れる瞬間が来るのは仕方ないのですが、そのたびに自分を慰めた瞬間がありがたかったです。それでも、うまくできたときは、「自分らしくよくやった」と思います。「みんなに喜んでもらえただけでも、一緒に楽しい時間を過ごせただけでも、自分にとって大きな意味があるんだ」と自分で自分を慰める瞬間に感謝します。
パク・ヒョシンというアーティストの時代は7集を起点に大きく分かれます。慰めと共感というキーワードが浮上したのもこの頃からです。数え切れない名曲の中でも特に7集の「息」のミュージックビデオ映像には、コメントで多くの人が自分の内面の話や日常を共有していました。音楽ができる慰めの好循環がこのようなものではないかと思いました。
7集は僕も一番大切にしてるアルバムです。僕にとってターニングポイントとなったアルバムで、7集前後の人生が当時の人生で高低が最も激しく動いた時だったので、何よりも自分を見つめ直す必要があった時期で、これまで以上に自分自身に自分について正確に質問し、答えなければなりませんでした。どのように生きたい人なのか、などの質問をしながら作っていったアルバムです。その過程で、苦いだけではないのは、人々が人生が大変だと言いますが、その言葉よりも僕たちがもっと力強く生きてるんだなと知ることができたんです。「Breath」も大きなテーマを持った曲ではありません。当時、いろいろなことを経験して家に帰ったときに、たとえ一杯のお酒でも、僕がこうして息をしてるという事実に感謝します。こうしてでもいられることが、とても幸せな人生だ、という感謝の気持ちで作った曲です。振り返ってみると、そうやって一人で自問自答して反問する過程で得た気づきがありました。そうやって作ったアルバムなので、多くの方が共感できる要素が少し多くなったのではないかと思います。
昨年12月にシングル「HERO」を発表した際に「伝えたい気持ちの大きさが大きければ大きいほど、それを込める曲を作る時間は長くなる」という文章を書きましたが、音楽を完成させる過程が、心を完全に込める過程がますます難しくなったということだと思います。
ラジオで話したように、「HERO」は引退曲として書いておいた曲で、限界が来るとは思ってなかったのですが、実際に限界を感じると、自分でも気づかないうちにあれこれ整理してました。音楽を離れて生きるなら、どう生きるべきなのか?どんなことが自分らしく生きることなのか?このような考えが自然に浮かびました。感謝の人生を生きることができるようにしてくれたファンに最後の挨拶をしなければならないのですが、あげられるのは結局また歌しかないんです。その事実が悲しいながらも、それでも私があげられる最大のものだと思い、落ち着いた気持ちで曲を書いたと思います。「僕はもう終わりだ」とただ悲しいだけでなく、最後まで良いプレゼントをあげたいと思いました。そうして曲を書き終えて、時間が経つにつれて限界だと感じてた感情が少しずつ薄れてきて、再び一歩を踏み出すことができるきっかけになったので、この曲がほこりの積もった歌のようになりました。
音楽がずっと音楽をさせるんですね。
そうですね、それは本当に皮肉なことで、子供の頃は好きなことをすれば大変なことなんてないと思ってましたが、今は一番好きなことをするときに一番大変な瞬間が来るのが当たり前だと思ってます。そうしてこそ一番良いものを得られると思います。
パク・ヒョシンさんにとって良い音楽や良い歌とは何かという質問はまだ有効ですか?最も難しい質問ですが、自問自答することもありますか?
僕をよく知ってるので、できるだけやらないようにしてます。良い音楽、歌というものを規定してしまうと、僕はそれを成し遂げられない人だと決めつけて、自分自身を排除してしまうでしょうから、それ以上考えず、ただ毎瞬間最善を尽くし、自分自身に最も正直になるようにしてます。時々、作ったものを捨てることもありますが、その基準は当時の自分が正直でなかった時です。自分を最大限信じるために、信じたくなるから正直でなければなりません。たぶん、自分を信じられなくなる瞬間が来たら、そこから全てが止まっちゃうんだと思うんです。僕は大胆な人じゃないし、恐れることも、怖がることも多いから、自分を信じられなくなったら、どこかに隠れてしまうんだと思うんです。
25年の歳月を経て得た最もシンプルで明快な気づきのようですね。
そうですね、インタビューの冒頭の答えにも通じるのですが、自分自身に正直で、その場にうまくいること自体が、僕にとっては大きな成功の基準になってます。誰かが「挑戦意識がないのか?」と言うかもしれませんが、挑戦というのは、すでにたくさんやりすぎてます。ミュージカルがそうでしたし、僕の性格上、舞台で演技をするというのは、当時は過度の欲張りであり、挑戦でしたから。
大きな挑戦の一つであったミュージカルは、キャリアの中で欠かすことのできない重要な核となりました。5月31日から「ファントム」10周年記念公演として再び舞台に立ちます。10年前の初演当時をどのように覚えていますか?
初演作品は再演作品の2~3倍の時間と労力が必要なので、大変なもので、再演が「今回はここを修理して、あそこにこんな色を塗ってみたらもっといいな」というようなものなら、初演は設計図から描き始めて、何もないところに柱を立てて建物を建てるようなものです。今回、「ファントム」の初演と再演から7年ぶりに再上演するわけですが、これまでの作業を振り返りながら、新しい「ファントム」を作っていく準備をしてます。
2025年の新しい「ファントム」のヒントを教えてください。
「ファントム」は主人公の一代記全体を溶かす物語なので、キャラクターが起承転結をうまく作っていかなければならない作品で、幼少期から目を閉じた瞬間まで、すべての人生をすべての感情をうまく溶け込まないと、僕もうまくできないんです。初演当時は30代だったので、今は当時よりも人物について理解できる部分が増えたと感じてます。当時は忠実にやったことで十分だと思ったのですが、今改めて見ると足りないように感じます。今改めて見ると、十分ではないと感じることもありますし、ある部分はもっと磨いてみたらもっと良くなった部分もあります。そうやって再分析し、解釈し、整理を終えたので、より堅固な「ファントム」を演じられるのではないかと思います。ほんの数日前までは混乱と悩みが多かったのですが、今はその混乱と悩みが終わった状態です。数日前に会ったら、今、考えが多すぎると言ってたかもしれませんが、よかったですね。(笑)
今この瞬間、パク・ヒョシンは何を、どこを見ていますか?
う~ん、正直に話すのがいいじゃないですか。どの瞬間に最後のピリオドを打つのかよくわからないです。ピリオドを打たないかもしれないし、打たないかもしれないですけど、それは夢のような話だと思います。でも、いつかこの物語にピリオドを打たないといけないと思っても、それがいつになるのか、事前に決めたり、準備することはできないじゃないですか。普段から自分自身にもこのような問いかけをするんです。今どこに向かってるのか、何をもっとやりたいのか、どこまでが自分の物語になるのか。一年一年、その問いかけをしてるのですが、最近の答えはこれです。どこまでかはわからないけど、その日が来るまで自分自身に恥ずかしくない程度に最善を尽くそう。そして、ピリオドを打つときが来たら、うまく打てるように計画して設計しよう。
ピリオドを打たなければならないのでしょうか?
だから、打たないほうがいいのかもしれません。また、打たなければ、僕の人生もうまく生きることができないと思います。人生の多くを歌手、俳優のパク・ヒョシンとして生きてきたからです。とてもありがたい人生で十分だと思う反面、ある時はピリオドを打って自分の人生を忠実によく生きることも重要なのかもしれないと思うこともあります。また一方で、去るなら美しい時に去るべきなのに、その判断が難しいですよね。「僕はまだ美しいのに」と思うなら去らなくてもいいのですが、それを客観的に判断できる時期が来たら、自分で選びたいです。自分を知らずに、他人がダメだと言ってるのに、「いや、僕は大丈夫」と無理やり続けたいとは思わないので。
ある分野の巨匠と呼ばれる人たちに会うと、そういう話をされるんですよ。アーティストとしての人生、個人の人生、全てが自分であることを受け入れる瞬間があったと。
いつかそういう日も来るんじゃないでしょうか?来るといいなと思ってます。ある意味、年齢の割に大人げないのかもしれないけど、檻の中に閉じ込められて生きてるような気がすることがあるんです。だから、年齢に合った考え方をしなければならないときは、まだ自分が足りないのかなと思うこともあります。逆に、僕はまだ考え方が若いんだ、歳をとってないんだなと、よかったと思うこともあります。若い心でやりたいことがたくさんあって、「もっとうまくやれるはずなのに」と迷走しているような気分になることもあります。そのたびに、それでも自分の居場所はここだと思い、音楽に戻ろうと努力はしてます。ファンがアルバムを長く待ってくれてるので、僕自身もプレッシャーを感じてることもあります。周りが勝手に騒がしくなると、自分の場所に戻るのに時間がかかる気がします。だから今はそんな時間を歩いてる感じです。早く自分の場所に戻らなければいけませんね。
終わりを想像しながらも、なぜまだ音楽で、元の場所に戻ろうとするのでしょうか?
それでも音楽はどんなこととも比較できないほど、僕は小さな人間が与えることができる、受けることができる最大のものです。音楽はいつ、どう考えても、僕にとっていつも溢れんばかりの対象で、いつもそれ以上のものを受け取ってます。なぜよく、生まれ変わっても音楽をやるのかと聞かれることがありますよね。僕は振り返ってみると、音楽で幸せだったけど、大変なこともたくさんあったし、有名になるとどうしてもついてくるものがあって、それを考えると、とてもとてもやりたくないのに、生まれ変わる機会があれば、またこうやって生きたいと思います。これはどう考えても悩みどころではありません。それくらい、とても大きくて高いものを得て生きてます。音楽ひとつで。
今のパク・ヒョシンとして立つことができるのは、自分が持っているもののおかげだと思ったことはありますか?
ファンですね。虚勢を張るように聞こえるかもしれませんが、本当に正直に自分のすべてを吐き出しても変わらない答えです。もし僕が歌手と俳優の生活以外に個人的な生活にも忠実だったら、この質問に答えるのは難しいと思います。しかし、僕にとってはとても簡単な質問ですが、歌手としてだけ生きてきたので、この質問には他の答えはありません。順位をつけることもできない答えです。ファンがいなかったら、今まで僕という人間自体がこの場所まで来ることができなかったと思います。僕の人生がそうでした。だから、この感謝をどうにかして返してあげたいです。幸運という表現が正しいかどうかわかりませんが、大変な人生を経験する中で、僕の音楽も変わっていきましたよね。その音楽でファンとつながったと思えば思うほど、音楽について考えることが多くなったと思います。おかげで、ラブソングを歌うだけでなく、商業的なものだけでなく、僕なりの別の道を歩むことができたと思います。だから、その感謝はどうしようもありません。それだけで生きてると言っても過言ではありません。
最後に、この25年間で唯一完全な幸せと呼べる瞬間があるとしたら、いつを挙げますか?
今日の答えはこう流れますが、少し大げさな言い方をすれば、舞台の上の瞬間です。舞台に上がる前でもなく、終わった後でもなく、ただただ舞台の上にいる瞬間です。今日このまま死んでしまってもおかしくないと感じるくらいです。僕にとって舞台は、どうやってあそこに上がって歌を歌い、演技をしたのかと思うくらい、毎瞬間ドキドキして怖い場所です。僕が耐えられる場所ではありません。怖くない状態で上がったことは一度もありません。でも、少し時間が経つと、ある瞬間から、ここには夢で見たような自分がいるんです。このたくさんの人と同じ空間で歌えること、同じ空間で呼吸できることがとても幸せなんです。もちろん、人生にはいろんな幸せがあります。旅行をしたり、母と久しぶりに楽しい時間を過ごしたりすると、99.9%は幸せです。でも、本当に100%、0.1%をプラスするような完全な幸せは、舞台の上にいるときしか感じられないんです。